「有田焼について」

 佐賀県有田町一帯で生産される磁器。隣接する伊万里(いまり)津が製品の積み出し港であったため、江戸時代から伊万里焼の名で知られた(伊万里市)。文献によれば、文禄・慶長の役(1592〜98)の際に朝鮮半島からつれてこられた陶工の李参平(りさんぺい)らが、1616年(元和2)、有田の泉山に白磁鉱を発見し、これをもちいて日本で最初の磁器焼造に成功したとつたえられる。

初期の製品は、古染付、祥瑞(しょんずい)とよばれる中国明代末期の染付の写しが中心であったが、やがて白地の上に上品な色絵で繊細な花鳥をえがいた柿右衛門(酒井田柿右衛門)や、染付に色絵や金彩で絢爛(けんらん)豪華な模様をえがいた金襴手(きんらんで)の古伊万里などを生みだした。これらは17世紀後半から、オランダ東インド会社や中国の商人を通じてイスラム圏やヨーロッパへ大量に輸出され、日本独特の磁器として人気を博し、各地で盛んに模倣された。輸出物のほかにも、国内向けに青磁や天目、型物なども量産し、元禄期(1688〜1704)に最盛期をむかえた。

また近年の有田町の発掘では、従来、石川県九谷窯(くたにがま)の産とみられてきた古九谷(九谷焼)の色絵磁器片が出土して、その産地問題が注目をあつめている。18世紀には一時的に有田焼の輸出は減少したが、幕末以降、ふたたび隆盛をむかえ、以後、今日まで日本を代表する磁器となっている。

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有田焼